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はてさて

 (略)わたしはベッドの上に起き上がって「何をしようというんだ?」と言った。「彼女に何か読んでやろうと思ってさ」シーモアはそう言うと、書棚から一冊の本を抜き出した。「だって、まだ生後十ヶ月だぞ」とわたしは言った。「分かってるよ」シーモアは答えた「耳があるからな。聞こえるさ」
 この夜シーモアが、懐中電燈の光でフラニーに読んでやったのは、彼が大好きな話で、道教のある説話であった。フラニーは、シーモアが読んでくれたのを覚えていると、今日でも断言して譲らない。

 秦の穆公が伯楽に言った「お前ももう年をとった。お前の子供たちの中に、お前に代わって馬の目利きとして余の雇える者が、誰かおらぬか?」伯楽は答えた「良馬は体格と外観によって選ぶことができまするけれども、名馬は―埃も立てず足跡も残さぬ馬というものは、消えやすく、はかなく、微かな空気のように捕えがたいものでございまする。わたしの倅どもは至らぬ者ばかりでございまして、良馬はこれを見せればわかりまするけれども、名馬を見抜く力は持っておりませぬ。しかしながら、わたしには、九方皐と申す友人が一人ございまして、薪と野菜の呼び売りを生業といたしておりまするが、馬に関する事どもにおきましては、決してわたしに劣るものではございませぬ。願わくは、かの男を御引見くださいまするよう」
 穆公はそのとおりにしたあげくに、馬を求めて来るようにと仰せられて、その男を急派したのである。三ヶ月の後、男は、馬が見つかった旨の報せをもって戻って来た。「その馬は目下、沙丘におりまする」と男は申し添えた。「どういう種類の馬か?」公は尋ねられた。「栗毛の牝馬でございまする」というのがその答えであった。しかしながら、それを連れに遣わされた者が見ると、馬は、なんと、漆黒の牡馬ではないか!いたく興を損じられた公は、伯楽を呼び寄せて「余が馬を探して参れと命じたお前の友人は、とんだ失態を演じおったぞ。馬の毛色はおろか、雌雄の別すらもわきまえぬ男ではないか!あれでそもそも馬の何が分かると申すのだ?」伯楽は一つ大きく満足の吐息をついた。「あの男はもうそこまでも至りましたか!」彼は声をはずませて言った「はてさて、そこまで行けばわたしを一万人寄せただけの値打ちがございます。もはやわたしの遠く及ぶところではございませぬ。皐の目に映っているのは魂の姿でございまする。肝心かなめのものを摑むために、些細なありふれたことは忘れているのでございます。内面の特質に意を注ぐのあまり、外部の特徴を見失っているのでございます。見たいものを見、見たくないものは見ない。見なければならないものを見て、見るに及ばぬものは無視するのでございます。皐は、馬以上のものを見分けることができまするほどに、それほどに冴えた馬の目利きなのでございまする」
 いよいよその馬が到着してみると、なるほど天下の名馬であることが分かった。

 わたしがここにこの説話をそっくりそのまま書き記したわけは、(中略)すぐこの後に出て来るのは、一九四二年のある結婚式の日の話であるが、これは、(中略)それだけで完全にまとまった一つの物語になっていると思うのである。が、しかし、次の事実を握っているわたしとしては、このときの花婿が、一九五五年の現在ではもう生きていないのだということを付言する義務があるような気がする。彼は、一九四八年、休暇をとって細君といっしょにフロリダに行っていたときに、自殺したのだ。・・・・・・とは言うものの、わたしが本当に付言したく思っていることは、ほかでもない。この花婿が人生の舞台から永久に退場してからというもの、わたしには、彼の代わりに馬を探しに遣わしたく思う者は一人として思い浮かべることすらできなくなったということなのである。


― 『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』 著 :J.D.サリンジャー 訳:野崎 孝 より―


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by solalyn | 2014-08-21 00:05 | WORDS | Comments(0)