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そもそも"Adobe"という単語の意味は、「ネイティブアメリカンが用いていた(る)『日干し煉瓦』のこと」だなんて、もうどうでもいい?どうでもいいか。

 「おまえは、インディアンみたいな口をきくねえ。いつだったか、ナヴァホ・インディアンの若いやつに、空と大地とを指さして、どちらがうえでどちらが下かと聞いたことがある。その若いやつは、わかりません、と答えやがった。いつも荒野をひとりでうろついているやつだったよ」

― 片岡義男『友よ、また逢おう』より ―
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第2回プラチナブロガーコンテスト



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by solalyn | 2018-02-11 17:50 | PROPOS | Comments(0)

日盛り

 ご無沙汰しておりました。

お元気でしたか?ぼくは、まあまあです。

最近読了したスタインベックの短編「逃走」が、ほんの少しだけ片岡義男の「ボビーに首ったけ」を想起させた。

さっき、そうインスタグラムに投稿したのだけれども、正確にいうと、重大なちがいがあるな、と思った。

それは、前者は「若者が、『大人になってから』死ぬ」話であるのに対して、後者は「若者が、『若さの日盛りのその極点において』死ぬ」話だからなのだと思い至ったから。
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DATA:Leitz minolta CL M-Rokkor QF 40/2 Kodak Tri-X 400 f11 1/1000
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by solalyn | 2016-11-14 20:02 | PROPOS | Comments(0)

普通じゃない普通

自分の写真集『アンコモン・プレイセズ』のために、スティーヴン・ショアは、ごくみじかいあと書きのような文章をそえている。

その文章によると、スティーヴン・ショアは、23歳になるまで、ニューヨークのマンハッタンをほとんど出たことがなかったそうだ。その彼が、1972年、マンハッタンをはじめて遠く離れる旅に出た。自動車でテキサス州のアマリロへ向かったのだ。

このときの旅は友人がいっしょであり、ニューヨークからテキサスまで、その友人が自動車を運転した。マンハッタンからアマリロまでずっとパッセンジャーであったスティーヴンは、車の窓をフレイムにして、そのフレイムごしに、アメリカの風景を見つづけた。

この体験は、スティーヴンにとって、たいへんな体験だったという。それはショックであった、という言い方をスティーヴンはしている。自動車の窓ごしに見る風景、あるいは自動車を降りてそのへんをすこし歩いたりして目にする風景は、太陽光線の当たりぐあいによって微妙に変化する。まったくおなじ場所をおなじ角度から見ていても、たとえば朝の9時と午後の2時とでは、見え方はまるでちがってくる。この、光によってちがってくる見え方、つまり、普通すぎてどうにもならないほどに平凡な風景が、光の変化によって感情ゆたかな普遍へとたかまっていくありさまを、スティーヴンはカラー・フィルムによってとらえてみせた。『アンコモン・プレイセズ』のなかの風景は、知的で繊細な集中力をフルに発揮しつつ1973年から1981年にかけて、スティーヴンがアメリカ各地でひろい集めた普遍だ。


― 『人にあまり教えたくない素晴らしい写真集』より 片岡義男『紙のプールで泳ぐ』所収 ―
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DATA:Pentaconsix TL Biometar 80/2.8 Fuji PN400N f11 1/500
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by solalyn | 2013-11-20 21:27 | WORDS | Comments(0)

片岡義男に首ったけ

ぼくは十年ほど前から片岡義男の愛読者だ。

単純に、ファンだ、と言い換えてもいいかもしれない。

当時、ブックオフの105円コーナーで、赤い背表紙の古い角川文庫(表紙が素敵な写真のヤツだ。十年前はまだまだたくさんあったのだ)を買いあさったものだ。

彼の作品のなにが魅力か。一言では言い表せないが、ぼくは彼の付けるタイトルが、とてもすきだ。

すきなものを思いつくまま列記してみる。


友よ、また逢おう

スローなブギにしてくれ

彼のオートバイ、彼女の島

人生は野菜スープ

ボビーに首ったけ

波乗りの島

マーマレードの朝

愛してるなんて とても言えない

いい旅を、と誰もが言った

ときには星の下で眠る

味噌汁は朝のブルース

俺のハートがNOと言う

and I Love Her

Ten Years After

彼女が風に吹かれた場合

美人物語

こちらは雪だと彼女に伝えてくれ

B面の最初の曲

さっきまで優しかった人

彼らがまだ幸福だった頃

ラストシーンの出来ばえ

私は彼の私

嘘はほんのり赤い

あの影を愛した


日本のバブルはなにも生まなかったという人がいたら、ぼくはこう答えるだろう。

「ぼくはそうは思いませんね。片岡義男を生みだすことができたのですから」

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DATA:Minolta CLE M-Rokkor 28/2.8 Ilford XP-2 Super f8 AE
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by solalyn | 2012-10-09 03:31 | PROPOS | Comments(4)

Sunset riders

サーフィンは、波がいかに高く、海岸から双眼鏡でながめて、どんなに勇壮にみえても、豪快なんかではなく静かなのだ。


-片岡義男「10セントの意識革命」より-

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DATA:Pentaconsix TL Biometar 80/2.8 Fuji PN400N f8 1/500
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by solalyn | 2011-02-14 01:35 | WORDS | Comments(0)

Motorcycle makes a man

オートバイに乗るよろこびは、とても個人的でしかもぜいたくなものだと、ぼくは思う。

ある程度の排気量になってくると、実用的な価値などゼロに近くなる。あのすさまじい機械にまたがって風を切りつつ、右に左にリーンしながら走っていく快感にもし実用的な価値があるとするなら、それはライダーひとりひとりの心の内側での出来事に限定されてくるように、ぼくは感じる。

たとえばぼくは、日本という国の地理や気候が一体になってかもしだす季節感の中を、なんの目的もなくひとりで走るのがいちばん好きだ。

こんなふうに走るとき、ぼくの気持は、とても高揚している。このうれしい、熱い気持ちは、伝えようと思ってもなかなか人には伝わらないようだ。

しかし、自己満足とも、すこしちがっている。オートバイが偉大な先生で、ぼくはその弟子。弟子が先生といっしょになって、やるべきことをやり、学ぶべきことをひとつずつ学んでいくプロセス。これが、オートバイの楽しさだと、ぼくは考えている。オートバイは、ぼくにとっては、先生なのだ。いい先生にめぐりあえて、よかった。オートバイは人間が考えだして工場で大量生産した機械なのだが、よくできたオートバイの、その機械じかけのずっと奥のほうに、なにかとても偉大なものがじっとひそんでいるような気がしてならない。


-片岡義男 「オートバイはぼくの先生」(『アップル・サイダーと彼女』所収)より-


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DATA:Leica M6 Jupiter-12 35/2.8 Kodak BW400CN f8 1/1000
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by solalyn | 2010-09-11 00:54 | WORDS | Comments(6)