過日、ブックオフの百均文庫コーナーで、司馬遼太郎の地味目な三冊を発見したので、どれか一冊にしようとパラパラと手繰ったときに、次の文章が目に飛び込んできた。
「間違っていた?」
「はい」
「なにをだ」
「殿様を一生里のそばに引きとめておこうと思いましたこと。殿様は、やはり、青い雲のうえで舞う鷹でございますね」
「妙なことをいう」
「籠のなかに入れて飼う鳥ではございませぬ」
「おれが、鷹というわけかね。それは、お里の目すじちがいだ。鷹ならば、籠のなかでねむっていても、天へのあこがれがあるだろう。いずれは籠の目を掻き、くちばしで食いやぶってでも天へ飛びたつ。おれには、天がない。男のこころざしという、天がない」
「ちがいます。殿様が申される天とは、土佐二十二万石の大名に、もう一度おなりあそばすということでございますか。それならば、殿様は、きっと気重でございましょう。旅へ出て、いちど来た道を、もう一度ひきかえすようなものでございますから。殿様は、そんなことにお志を燃やせないのにちがいございません」
「お里は、二十二万石はおろか、この盛親に天下でもねらえというのか」
「いいえ。男の天とは、そのように、目で見、耳できけるものではございますまい。二十二万石や百万石という、文字で書けるようなものではなく、男が、ご自分のもってうまれたお才能(うつわ)を、天にむかって試してみることではございませぬか」
― 司馬遼太郎 『戦雲の雲』 より ―
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