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ぼくらはともだち

 (略)西郷を敬愛するあまりその愛情の量だけの憎悪を大久保にむける伝統的人情が日本人の表につづいてきたが、大久保の人間についても、この時期のかれの悲痛な心境についても、その感触はたまたま政敵になった西郷にだけしかわからないのかもしれない。西郷と大久保は年少のころからの友達であるだけでなく、幕末においてこれほど互いに信じあった盟友というのは、単に友情史というだけの面をとらえても、日本人の歴史のなかではまれであるかもしれない。
 
明治後、二人の間に、国家が介在するようになった。いかなる国家を創造するかということについて、この二人は、極端にいえば、ふたりだけがその作り手の立場にいた。ただこの場合、二人のあいだで、作るべき国家像が両極のようにちがってしまったということのみがある。

さらには二人が背負っている火炎のごときものも、二人だけに共通し、二人だけしかその実感が通じあえなかった。旧主島津久光のことであった。この久光という、この当時、保守思想家のなかではその思想が極端ながらも第一級の教養人である人物が、西郷と大久保を指さして、

 「不忠者」

とののしりつづけていたという事情である。西郷も大久保もこの旧主から不忠という武士に対して決定的な悪罵を投げられつづけることについて、少年のように心を痛ませており、ときに死の衝動にかられることもしばしばであった。この二人のもつ苦渋は、同藩の者にもわからず、まして長州人には想像を絶するものであった。その苦渋を共有しているという場において、西郷も大久保もたがいに相手に対してひそかに涙を流しつづけているような心の消息が感じられる。


‐ 司馬遼太郎 『翔ぶが如く』 より ‐


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by solalyn | 2015-01-04 14:11 | WORDS
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