Nちゃんは、僕に向かってたしかこう言った。
「あのさ、Hのこと、譲ってくれない?」
あのとき、NちゃんもぼくもHも小学五年生だった。林間学校で、散策の時間にたまたまNちゃんと二人きりになったときのことだ。
Nちゃんは、成績優秀、スポーツ万能、性格もおだやかでやさしい、という、今こうして思い出しながら書いていてもちょっとできすぎだなと思えるくらい、ぼくにはパーフェクトに見える少年だった。
Hというのは、当時まだ思春期から程遠かったぼくがよくふざけあっていたクラスメイトの女子‐なつかしい響き!‐のことだ。活発で、よくしゃべり、妹や弟がたくさんいる女の子だった。
そういうわけで、Nちゃんから冒頭のことばを聞かされたとき、ぼくはというと、げらげら笑いながら返事をしたのだ。オレはカンケーないよーあんなヤツ。好きにしなよー。云々。
その後のやり取りはまったく覚えていないが、いまでもときどき、あのときの彼の必死な表情をふと思い出したりする。
DATA:Praktina FX Biotar 58/2 Fuji 業務用400 f5.6 1/250