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やあやあ我こそは

継之助はかつて長岡にいたとき、

「洋式調練というのは、奇妙なものだな」

と、小山の良運さんに語ったことがある。

「あれほど夷人の考えというものが露骨に出ているものはない」

というのである。

(略)洋式にあっては、あたまから戦士というものは臆病なものだときめつけているらしい。なぜならば調練をする。

調練とは、集団のなかで動くすべをさとらせる訓練である。それも頭でさとらせず、体でさとらせる。くりかえしおなじ動作を訓練させることによってどのように惨烈な戦況化〔ママ〕でも体のほうが反射的に前へゆくようにしてしまう。(略)恐怖が足を食いとめるゆとりをなくするのである。すべての戦士を反射運動の生きものにしてしまう。

「おそろしいばかりの思想(かんがえかた)だ」

と、継之助は良運さんにいうのである。人間は自然の状態では悪であり、馬鹿であり、臆病であり、恐怖の前にはどうすることもできないいきものだと最初からきめつけてかかり、そういう上に組みあげて行ったのが洋式軍隊というものだと継之助はいう。

「まったく、妙だ」

と、継之助はそういう。日本の武士は源平時代の華麗な武者のすがたが原型になっている。人間のいさぎよさ、美しさを信じた上で成立しているのが、日本の軍法である。

「逆だな」

と、継之助はいうのである。この洋式軍法が普及すれば武士は変質するだろう、おそらくは武士も武士道もこの調練によって消滅するだろう、と継之助はいう。

しかしそれもやむをえまいというのが継之助の考えであった。洋式のほうがはるかに強い軍隊ができあがる以上、過去の典雅さへの感傷はすてざるをえないのである。



― 司馬遼太郎 『峠』より ―
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by solalyn | 2013-12-26 00:02 | WORDS | Comments(0)
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