京の道は、ぬかるまない。
「これは田舎道とはちがうなあ」
と、平太郎は烏丸通を北上しながら首をふり、妙なことで感心した。これだけの雨だとふつう一歩一歩足首まで泥で埋まるのだ、と平太郎はいう。それどころか、泥の跳ねが背中までかかるはずなのだが、この大路はどうだ、雨水が路面をぬらすだけで両側の溝へ流れている。・・・・・・
「良庵さん」
と、平太郎はふと発見したように、勢いこんだ。
「このわけはな、千何百年ものあいだ、人間が歩いて踏みかためてきたからこうなっている」
(なるほど、そういうものか)
蔵六は、この町人の友人に感心した。
平太郎は沖の漁師のような大声を出した。笠をたたく雨がさわがしくて、つい叫んでしまうのである。
「良庵さん、あんたもその一人だ」
と、いった。蔵六など道を固めているだけの存在だ、というのである。この都に入ってきたのは、木曽義仲もいる、現九郎義経もいる、頼朝もいれば信長、秀吉もいる、すべて無数の-のべ何億、何兆ともしれない-庶民と同様、この道を歩いて足の裏で固めて、それだけで消えただけだ、と平太郎はいうのである。
「あんたも木曽義仲だ。というより木曽義仲の雑兵だ」
蔵六はだまって歩いている。
-司馬遼太郎 『花神』より-
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