ユリアヌスについて深くも考えていなかった頃の私は、この若き皇帝を、アナクロニズムの代表のように見ていたのである。彼が行い、行なおうとしていたことは時代錯誤であり、時代の流れに逆らうことしか考えなかった、思慮の浅い人物だろうと思い込んでいたのだった。
(中略)
ユリアヌスは、このような時代に、一石を投じたのである。もしも彼の治世が十九ヶ月ではなくて十九年であったとしたら、なおも十九年生きたとしても五十歳で死ぬことになるので充分に可能性はあったのだが、もしもそうであったとすれば彼が投じつつあった石も数を増していたであろうし、十九年の間にそれは、流れを変えるまでになっていたかもしれないのである。もしもそうであったとすれば、キリスト教徒であることが現世でも利益になるとは、ローマ人も考えなくなったかもしれない。そして宗教は、現世の利益とは無関係の、個々人の魂を救済するためにのみ存在するもの、にもどっていたのではないだろうか。
― 塩野七生 『ローマ人の物語 XIV キリストの勝利』 より ―
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