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ドレスデン

やはり、来るべきではなかった。

息子夫婦に誘われて、極東の島国まで来たものの、ささいなことから口論になり、ホテルを飛び出してしまった。ここは、どこなのだろう。アサクサからさほど遠くないところにいるはずだが。

そもそも私はこの国が嫌いだ。猿真似で私の父(ドレスデンのカメラ工場で職長をしていた)たちのカメラを盗み、安い値段でそれを世界中に売りさばいた。父たちはやがて職を失った。嫌いになって当然だろう。

それにしても、どうしてこの国のひとびとは皆カメラをぶら下げているのだろう。ベルリンでもこれほど多くはなかろうに。いやはや。

そらまた向こうからやってきた。青年のように見えるが、年はわからない。東洋人はみかけよりずっと年嵩だったりすることがある。なぜそうなのかは知らないが。

大きなカメラをぶら下げているな。 ほう。こりゃ骨董品だ。ニコンの古いやつか。モータードライブが付いているな。

いや、ちがう。私は夢を見ているのか。おお神様こんなことが。

父さんのカメラだ。

KW社製のPRAKTINA FX。ゼンマイ式ワインダーの付いたやつだ。そこで私は突然思い出した。1952年。ドレスデンの、あのちいさな煤けた家を。


ぼくは怒っていた。その日、すごく久しぶりに早く帰ってきた父さんと夕食をとりながらずっと黙っていた。父さんは長いこと時間をかけた、「カメラのカイハツ」がようやく終わったとかで、とても上機嫌だったし、母さんもやっぱりうれしそうだったが、ぼくは怒っていた。ちょうどおっちょこちょいで有名な工員が、カメラに捺す刻印を上下逆さにつけてしまった話を愉快そうに話していた父さんを前に、ぼくは堪えきれずに泣き出してしまった。

父さんはびっくりして話をやめた。そうしてぼくに聞いたんだ。「エーリッヒ、坊や、どうしたんだい。お腹が痛いのかい?」って。

「そんなんじゃないやい」ぼくはしゃくりあげながら答えたんだ。「おとうさん、おとうさんたちは、ロシア人のスパイなの?」

「どうしてそう思うんだい」

「学校で、ハインリッヒや他のみんなが言うんだ。『うちのとうちゃんが言ってたぞ。お前のとうちゃんたちが作るカメラにはな、ロシア人のスタンプが捺してあるんだ。あんなもの、ドイツのカメラじゃないや』って」

父さんは笑い出した。「そうかそうか。何年か前までは、父さんたちはユダヤ人のスパイだって言われたものだがね。忙しいもんだ」それから笑うのをやめて母さんに言ったんだ。「ハンナ、あのカメラを持ってきてくれないか」

それから母さんが持ってきたカメラは、いやに大きくってごつごつしていて、見たこともない変な形をしていた。

「変なカメラ」

「ははは、そうだろう。でもねエーリッヒ、このカメラは、世界を変えるカメラになるんだよ」

「えー、このヘンテコが」

父さんはまた笑って、ぼくをおひざの上に乗っけてくれた。ぼくはこの『エーリッヒの特等席(母さんが名づけた)』に座るのが、ずいぶん久しぶりだったことを思い出した。そうしてほくほくしているぼくの手に、ヘンテコを持たせてくれた。

「うわー重いや」

「そうだろう。ハインリッヒ君の言っていた、『スパイのマーク』がこれだよ」

「ふうん。ぼくにはただの字にしか見えないけどな」

「そうだよ坊や。そんなのはただの文字なんだ。誰にどんなスタンプを捺されたって、こりゃまちがいなく父さんたちドイツ人が作った、ドイツのカメラなんだよ」

父さんは大事そうにそのカメラを撫でた。そうして言ったんだ。ひとりごとみたいに。

「ようやくできた。これはね、父さんたちの夢のカメラなんだ。思いついてから出来上がるまで、ほんとうに時間がかかった。長い長い時間が」

「おまえたちが大きくなる頃には、みんながこのヘンテコなカメラや、これによく似たカメラを持って、ニューヨークや、ペキンや、アフリカのジャングルを歩いていることだろうよ」

ぼくは父さんのあったかいひざでそんな話を聞きながら、眠ってしまった。


トーキョーの夜はベルリンほどではないが、やはり二月だ。冷える。青年(?)とすれちがうとき、彼の右手はカメラのてっぺんを撫でていた。父さんと同じように。
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DATA:Leica M6 Summicron 50/2 Kodak Tri-X 400 f5.6 1/250
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by solalyn | 2015-02-26 00:18 | NOVELS | Comments(0)
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